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来るべき時を求めて 

saudade18.exblog.jp

私について少し

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ブログを始めて半年は経っていると思いますが、
これまで私についてあまり書いていなかったので、
簡単に自己紹介でも。

ニックネームであるsaudade1982のsaudadeはポルトガル語でサウダーデゥ、もしくはサウダーヂと読みます。
この言葉の詳しい意味はこちらで

ブログタイトル『来るべき時を求めて』はマルセル・プルースト、モーリス・ブランショ、ジャック・デリダからきています。フランス語に訳すとA la recherche du temps à venirとなります。あらゆる次元における平和の祈りを込めてつけたタイトルです。

パリ在住4年半、フランス人の夫と息子と3人で暮らしています。
趣味は映画鑑賞、音楽鑑賞、絵画、歌うことなど。ヨガや水泳、ダンスなど体を動かすことも好きです。
好きな食べ物は香辛料が効いた料理全般。でも殆ど何でも美味しく頂きます。
お酒は大好きですが、飲み過ぎないように注意しています。

今回はこの辺で。
また気が向いたら書きます。
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# by saudade1982 | 2010-05-25 07:09 |

ペドロ・コスタ 『血』

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ペドロ・コスタの長編一作目『血』は白黒の厳格さと幻想的な美しさが画面を支配しつつも、暗闇という不安の中で小さな希望が底光りしているような映画だ。父の死が招いた家族崩壊から、兄ヴィンセンテと年の離れた弟ニノ、そしてヴィンセンテの恋人クララの3人の共謀関係が生まれようとする。しかしそれもニノの失踪によってやがて破綻する。ペドロ・コスタ自身、幼いころに母をなくし、後に14歳のときに父親もなくし、家族らしい家族がいなかったという。ゆえに『血』は自伝的な要素の強い映画と言えるが、それに加えて、ペドロ・コスタ自身が青年時代、映画学生時代に慣れ親しんだであろう数々の映画の影響を色濃く見せることによって自身の映画史を反映させている点でも自伝的であるし、ラストのボートのシーンは、ペドロ・コスタの未来の自己投影として非常に意義深い。明け方、川の水が黒光りする薄暗さの中でボートが向かう先は、ボートを操縦するニノ自身、恐らく分かってはいないだろう。しかしその思春期も迎えていない幼い顔は微笑を湛え光り輝き、その先に立ちはだかるであろう予測不可能の運命や出来事に立ち向かおうとする意志が窺えるようだ。それはペドロ・コスタ自身がこれまでの自分を培ってきた体内に流れる映画史という名の血から解き放たれることにより、ゼロの地点に再び戻り、映画作りの可能性を模索しようとする姿と重なる。つまり『血』は自身を作ってきたあらゆる人や物を葬ることを題材としつつも、そこから新しい何かを生み出そうとする力が感じられる映画であり、現にペドロ・コスタは『血』以降、『溶岩の家』『骨』『ヴァンダの部屋』そして『コロッサル・ユース』と、フィクションとドキュメンタリーの垣根を越えた独自のスタイルを着々と形成した。そうした意味で『血』がたとえ映画史かぶれ丸出しの映画だとしても、ペドロ・コスタにとってそうした自分自身を包み隠さず見せることは必然的だったのだ。映画史に敬意を払い、そして葬る。それは彼にとって映画にどっぷり身を投じ、来るべき映画を予告するための言わば通過儀礼だったのである。
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# by saudade1982 | 2010-05-16 08:04 | 映画

りんごタルト

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先週の日曜日、息子と初めてお菓子作りに挑戦しました。
私自身、お菓子は殆ど作ったことがなかったのですが、
丁度時間があったのと、りんごを沢山買ってあったので作ることにしました。
りんごをむいて切ったのは私。
ボールに牛乳、砂糖を入れるのは息子と一緒にして、
かき混ぜるのは殆ど息子にやってもらいました。
そして、冷蔵庫の隅にあったパイ生地を敷いて、
りんごを2層で並べ、牛乳と砂糖と卵の液体を流し込みました。
とっても簡単でした。
そしてオーブンで30分弱焼いたら出来上がり。
家族3人で美味しく食べました。
息子と初めて作ったタルトは素朴でやさしい味でした。
夕飯が終わったころには既に完食。
また今度の週末にも息子と何か作りたいと思いました。
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# by saudade1982 | 2010-05-05 17:45 | 日々

カプラ

最近息子ではなくて私がはまっているおもちゃ、カプラです。
息子が先月誕生日だったのですが、
とある友人数名がこのカプラをプレゼントしてくれました。
同じ大きさの同じ形の木の板を自由に積んで遊びます。
この木の板、安定感に優れているのでとても積みやすく、
あれもこれもと色んな積み方が出来て楽しいです。
素朴なおもちゃですが可能性は無限なので、
想像力を養うことができます。
カプラの日本公式ページは↓です。
http://www.kaplazoo.co.jp/
ちなみに私はこんなのを作りました。
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私はこういうのを夜息子が寝てから作り始め、
朝息子に出来たものを見せて、それを見て喜ぶ息子を見て喜んでます(笑)
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# by saudade1982 | 2010-05-03 19:44 | 日々

マルグリット・デュラス 『破壊しに、と彼女は言う』

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マルグリット・デュラスは1969年に『破壊しに、と彼女は言う』という小説を発表し、その後すぐに小説を映画化した。デュラスはそれ以前に『太平洋の防波堤』、『モデラート・カンタービレ』、『ヒロシマ、モナムール』『ロル・V・シュタインの歓喜』といったデュラスの初期の代表作とも言うべき作品群を発表している。また、この頃までにデュラス自身の小説は他の監督たちによって数多く映画化されてきている。デュラス自身も『ヒロシマ、モナムール』(アラン・レネ監督、1961年)『かくも長き不在』(アンリ・コルピ監督、1966年)等の脚本を手掛け、1966年には『La Musica』という自身の戯曲をポール・セバンとの協力で映画化しているが、『破壊しに、と彼女は言う』で、デュラスは初めて単独で監督を手掛けることになった。

デュラスは小説の執筆の段階で、映画を作る予定はなかった。ただし、読んだり、映画化したり、舞台化したり、もしくは捨ててしまえるようなものを目指したという。モーリス・ブランショはこの考えを、自身の『破壊しに』という論文で「『破壊しに』は本なのか、映画なのか、それともその中間にあるものか」と、『破壊しに、と彼女は言う』をあるひとつの概念ととらえ、形而上学的に発展させた。  

小説は、その短文、もしくは一語で構成された簡素で且つ即物的な文体が特徴的で、演劇の台本を思わせる。登場人物たちはすぐにその名を明かされない。『ヒロシマ、モナムール』の男女を思い起こさせる「彼」、「彼女」は、登場人物間の交換可能性を孕んでいる。
物語は主にシュタインという登場人物の視点に焦点を合わせているが、突然のゼロ焦点化、外的焦点化によって自由な視点の運動が行われている。そして語り手による自由間接話法とシュタインの関係から、シュタインがデュラス自身を投影しているように思わせる。シュタインが作家、もしくは作家になる途中であるというあやふやさは、文学の破壊、作家の破壊を試みたデュラスの立ち位置を表すものだ。

映画に於いてはデュラスと登場人物を演じる俳優たちの会話がオフで挿入されるが、作家自身の声を映画に響かせ、また、映画づくりにおける技巧を拒絶し、巧みなモンタージュによって滑らかなストーリーテリングを展開する伝統的な映画との差別化をはかっている。本を読んだふりをし、トランプで遊んでいるふりをする奇妙な登場人物は「空っぽの人間」というデュラスが云うところの政治的な在り方を体現し、俳優はふりをしているふりをしている人物を演じることで虚構と現実の間を彷徨う。
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# by saudade1982 | 2010-04-23 09:46 | 映画